from: 藤村紀和
野球界に2人の投手がいました。
どちらも高校球児として、
夏の甲子園で観客を沸かせる存在でした。
国民的人気を得た二人はやがて、
プロ野球に進み連日スポーツ紙を賑わしました。
そして10年経った今。
ひとりはシーズン24勝を挙げ
チームを初の日本一に導き、
その後海を渡りメジャーリーグに挑戦し成功しました。
年俸はなんと9億円。
日本に戻りチームを支える投手として
チームに欠かせない存在です。
しかしもう一人は、今年現役生活にピリオドを打ちました…。
…と書き出しをTwo Young Man風にしてみましたが、
この2人の投手、あなたもきっとご存知ですよね。
斎藤佑樹(元)投手と、
田中将大投手。
人気者で夏の甲子園では並び称された二人。
まさかプロ野球選手として、こんなに差がつくとは思わなかったです。
その理由は、
能力のせい?
身体の強さ?
ケガしたから?
練習不足だったから?
もちろん要因は一つではないでしょうけど、
とある記事で、「なるほど…」
と思った内容があったので今回はそのお話を。
これ、セールスライターとしても
かなり重要な内容だと思いました。
その内容は、二人がプロ入りまで歩んだ道と
大きく関係している、とその記事にありました。
田中将大投手は高卒でプロ入りし、
150キロを超える剛速球でルーキーイヤーで
二けた勝利を挙げ新人王獲得。
入団3年目で年俸が1億8000万になっていました。
かたや斎藤佑樹投手。
早稲田大学に進学後、早稲田のエースとして
大学日本一に導くなど、華々しい活躍をしていました。
実はここの4年間が彼にとって、
その後を決めてしまったと言います。
それは引退表明をしたときの
「いろいろな思い出がありますが、一番はファイターズというチームで11年間、最高の仲間とプレーできたことです」
というセリフに表れていました。
この「最高の仲間と野球ができた」という発言は、
早稲田大学4年秋のリーグ優勝時にも言っていることです。
日本ハムファイターズに入団し、
プロデビューの年は6勝6敗。
そして引退までの11年で、通算勝ち星は15勝。
プロ野球界のOBたる有名な評論家の方々は、
「あのフォームではプロで通用しない」
「速い球は投げられず、肩や肘を壊す」
と矯正を監督やコーチに伝えたそうです。
しかし彼はそれを拒否したとされます。
「自分には大学4年間でやってきた自信がある」と。
一方の田中将大投手。
名門ニューヨークヤンキースで
7年契約総額170億円という待遇で移籍。
しかし右肘靱帯を切ってしまい、
剛速球は鳴りを潜めてしまいます。
しかし彼はここで、
「本格派も軟投派もない。要は打者を抑えられればよい」
と肘を痛めてから投球術を変えて戦い、
日本に帰ってきて今年、勝ち星が伸びなくても
防御率は高いままです。
Two Young Man風に言えば、
「この違いはなんだったのでしょう?」
となりますね。
その答えは…。
どこにこだわりを持つのか?
じゃないでしょうか?
物事というのは、
しつこいくらいやれば必ず達成できます。
こだわり持ってやることは、
結果として達成するまでやり続けるんですよね。
方や勝つことにこだわり続け、
結果投球術を変えたり打者心理を学び、
勝ち続けて今も現役で第一線に出ています。
方や大学4年間の自信をよりどころに、
自分の投げたいようにやりたいようにやること、
ここにこだわりました。
そして引退時のコメントのように、
勝ちよりも仲間とやることを優先しました。
だから野球人として成績はこれだけの差になったのでしょう。
でも双方ともに、
自分のありかたを貫いているんですから、
悔いはないんでしょうね、きっと。
自分もそうですが、
あなたもセールスライターとして
どこにこだわって日々励んでいますか?
クライアントの売上にこだわるとか、
キレイに上手にレターを書くことにこだわるとか、
お客を大事にするクライアントだけにこだわるとか。。
代表理事の成澤と話すと、
ここの部分が大変顕著に分かります。
レターは手段でしかなく、
クライアントの求めるものを実現するために
あらゆるアプローチを出していくのが
セールスライターの仕事なんです、と。
あなたはどこに、こだわりますか?
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