逃がした魚はなぜ大きいのか?

from 成澤将士

 

「逃がした魚は大きい」ということわざがある。

 

意味は説明するまでもないと思うけど「一度手に入れかけて失ったものは、実際よりも大きく(素晴らしく)見えるものだ」という意味。

 

僕も釣りをするから分かるんだけど、これね、本当なんですよ(笑)

 

その日釣った一番の大物よりも、釣り上げられなかった魚の事の方で頭がいっぱいになる。

 

「上げられなかったってことは、きっと今日イチの魚よりも大きかったに違いない」とか、

 

「あの引きは普通じゃなかった。もしかしたら〇〇だったのかもしれない」とかね。

 

こうした話は何も釣りに限った話じゃない。

 

例えば競馬が好きな人は「あの馬券買おうと思ってたのに、、、やっぱり来たかあ」と何年経っても買いそびれた万馬券の話をしているし、

 

買う気満々で並んでた限定品が目の前で売り切れて手に入らなかった人は、諦めがつかなくて高額転売から買おうとしたり、、

 

気になる子と良い感じで上手く行きかけてたのに、不用意な一言で関係が終わっちゃったことを、なかなか忘れらりなかったりとか、、、

 

まあ程度はどうあれ、こういう経験は誰にでもあるだろう。

 

かくいう僕も、決まった契約よりも、順調に進んでいたはずなのに土壇場で流れた契約の事の方が印象に残っている。

 

これって、よく考えたら不思議だと思わない?

 

なぜ僕ら人間は、これら「得てもいない」モノたちに未練が残るのだろうか?

 

「持っていたものを失ってしまう」なら、実際マイナスだし痛みや未練も理解できるけど、そもそも持ってなかったものになぜこんな感情を抱いてしまうのか?

 

 

なぜこんな現象が起きるのか、僕なりに考えてみたんだけど、この現象の正体は「妄想体験」じゃないかと思う。

 

「あれが釣れていたら、、、、」

「あの馬券が当たっていたら、、、」

「あの限定品が手に入ったなら、、、」

「あの子と上手く行っていたなら、、、」

「あの契約が決まっていたなら、、、」

 

それぞれに、頭の中で描く最高の展開がある。

 

あれが釣れていれば、、、、

今日イチだった、いや、自分史上最大サイズだったかも、

そしたら皆の賞賛が凄かっただろうなあ、

写真アップしたらFacebookでいいねむっちゃついたかもなあ、

動画撮ってたからyoutubeにアップしたらバズって儲けられないかなあ、

みんなに魚振舞ってお礼言われながらどんちゃん騒ぎは楽しいなあ、

いや~、帰りの満足感ハンパないなあ、

次行ったときは仲間の見る目変わるだろううなあ、

っていうか、そんなサイズ入るクーラーボックス無いから買った方が良いかも、

大物用に最新の道具に変えようかな、

 

たぶんこれくらいは、2秒で脳内を駆け巡るだろう。

そう、実際は何も得ていないのに、脳内ではしっかりと得たことになっている。

 

しかもこれのタチの悪い所は、妄想体験しているものが「想像しうる最大最良のもの」になって、さらに無限連鎖的に発展していくことだ。

 

どんなに良い事でも、現実で起きているものは多少の「足りなさ」は大抵あるもの。

しかし、妄想で得た成功体験は脳内で最大最良化されたもので全て「満ちた」状態。

そりゃ現実以上に強烈なインパクトがあるよね。

 

 

んで、この「妄想体験」、何かに似てると思わない?

 

 

そう、これは「ベネフィット」なのだ。

 

ベネフィットとは、見込み客に起こりうる最良の変化だ。

ベネフィットはこの「妄想体験」をさせるもの。

 

 

そして脳は「現実と想像を区別できない」という。

 

レモンをかじる想像をしたら唾液が出る。

怖い夢を見ただけで汗びっしょりになる。

子供に熱くないアイロンを押し付けたら火傷した。

 

このイメージ力は肉体に変化をもたらすほどのとんでもないパワーを持っている。

 

 

だから良いベネフィットが書ければ、妄想体験を通じて人を動かすことができる。

 

そしてさらに良いセールライターは、本人(ペルソナ)がまだ気づいていない、つまりまだ妄想にすらなっていない新しい「種」を与えることができる。

それさえペルソナに与えてしまえば、あとは勝手に妄想という枝葉を広げてくれる。

 

 

ベネフィット作りに悩んだら、今日の話を思い出してほしい。

きっと、「あなたは大きい魚が釣れるようになります」なんて残念なベネフィットを作ることは無くなるだろう。